みなさん、こんにちは。hapihapi(ハピハピ)で毎朝、毎晩、おいしいおかしをつくっている濱本悟史(はまもとさとし)です。僕は昭和46年、ここ宮崎の国富町で生まれました。
生まれたときは健康優良児で表彰されるくらい元気な子どもだったそうです。
しかし、小学2年生の時、小児ぜんそくになりました。ぜんそくになると、せきこみ眠れません。1週間は学校を休まないといけない、そんな小学校生活を送りました。学校を休んでつまらないときは、母がきまって「何か食べたいものある?」と聞いてくれます。うれしくて、僕は言いました。
「シュークリーム、プリン、お母さんの作ってくれたドーナツ!!」
お菓子があれば、幸せな気分になれる、そんな風に思ってお菓子大好き小学生になりました。
父と母は共働きで忙しかったのですが、僕の誕生日だけはちゃんと覚えていてくれて、近所のケーキ屋さんでデコレーションケーキを買ってきてくれました。生クリームではなく、バタークリームのケーキです。飾りは赤いレッドチェリー、バラの形のクリームの絞り。はっきりとおぼえています。
僕は11月生まれですが、11月にはこたつが出ていました。ケーキはこたつの上にのせてあり、その周りをうれしくてはしゃぎながら妹と走り回っていました。みんなケーキを囲んで笑顔でした。みんなに祝ってもらって、楽しく幸せな記憶でいっぱいです。今のケーキからすれば、おいしくなかったかもしれませんが、僕にとっては一年に一度の最高の味でした。
その笑顔と楽しさ、うれしさが、お菓子屋さんになりたいという思いになった。そう思います。中学を卒業し、お菓子屋さんになるにはと考えましたが、当時はパディシエ科などどこにもなく、国富町にある本庄高校の食品製造科に入学。入学試験に合格したときは、母にも「ほんとに受かったの?」と聞かれ、国語の先生にも「あんたが一番心配だったのよ。」と言われるほどでした。
お菓子関係の就職先はたくさんありました。いろいろ考えられたなかで、僕が一番行きたいのは、お菓子の「田園」です。「田園」は、その年は本庄高校から採用しないと言っていましたが、先生が「とてもまじめな良い生徒がいるので…」とお願いしてくれたおかげで、就職が決まったのです。とてもありがたく思います。
とても緊張する毎日でしたが、お菓子を作るという職につけただけでうれしく、朝早くから夜遅くまでの仕事もまったく苦になりませんでした。
社長は厳しく、「お菓子の道に進むなら独立を目指しなさい」といつも言われていました。人間関係などで辞めたいと思ったことはありましたが、不思議とお菓子を作るということは嫌にならず、22年間修業することができました。
節目の40歳には独立をしたい…。小さい頃ケーキを食べて喜んだあの楽しい記憶を自分の作ったお菓子で、みんなにも味わってもらいたい…。その気持ちは強くなるばかりでした。39歳の時、社長に「独立したい」と話しました。社長は、喜び半分、心配半分な様子でこう言ってくれました。「決めたのなら、がんばりなさい。何かと大変だから、独立する3カ月前まではうちで働いていなさい。」と。本当なら、ライバルの一つとなる僕に対して、とても応援してくれた社長の素晴らしさを改めて実感しました。
社長はいつも、「お店は見栄をはっていいけど、人間は見栄をはるな。」と人生哲学を教えてくれました。今の自分があるのは社長のおかげだと思っています。時間がある時は、毎月「田園」に訪ねて行って、社長に今の状況を伝える時間が、とても大切な時間になっています。
念願がかない、40歳に独立しました。独立して、一番うれしいこと。それは、僕が作ったお菓子を食べて、みんなが「おいしい!」「幸せな気分になりました!」という声を直接聞く事ができたことです。みなさんの笑顔に接し、声を聴き、本当にうれしく思っています。これからも毎日、毎日、僕を支えてくれる妻と一緒に、みんなハッピーになるよう、がんばっておいしいお菓子を作り続けます。